番外編(280-2)、続々、廃線跡探訪(20170225)


では、出発ぅ。
旧石岡駅からしばらくの間は、線路跡がバス専用道路になっている。
廃線跡を辿るには、とても楽チンでありがたい。
写真 バス専用道路(2017年1月9日14時40分頃、石岡駅付近にて)

元々の線路が単線なので、道路も単線、つまり一車線でとても狭い。
橋梁を渡る時はギリギリ。バス同士がすれ違う時も、決められた場所で、しかもギリギリ。
なので、専用道路とは言っても、ブンブン飛ばすわけではない。
写真 バス専用道路(2017年1月9日14時40分頃、旧石岡駅〜旧石岡南台駅間にて)

旧石岡南台駅のホームと跨線橋はそのまま残っている。造りが立派だからかな。
でも、ホームは使われていない。とゆーか、列車とバスではステップの高さが違うから、ホームは使えないよね。
写真 バス専用道路(2017年1月9日14時40分頃、旧石岡南台駅にて)

道路と交差する場所には踏切や遮断機はなく、バスの方が遠慮しながら通過する。
踏切があった、と思ったら、バス専用道路の方を遮断するもの。一般車両の立入を制限するという意味では同じだけど。
写真 バス専用道路(2017年1月9日14時50分頃、旧石岡南台駅〜旧四箇村駅間にて)

旧四箇村{しかむら}駅付近で、専用道路は終了。草ぼうぼうの線路跡が先に伸びる。
バスは左手に並行する国道355号線に入る。
写真 鹿島鉄道の線路跡(2017年1月9日14時50分頃、旧四箇村駅付近にて)

国道はいったん線路跡から離れるが、また戻る。なので、バスから線路跡が見える。
旧小川高校下駅のホームもそのまま残っている。ホームには「未来へ走れ鹿島線」の文字も残っている。寂しいけど仕方がないのだ。
写真 鹿島鉄道の駅舎跡(2017年1月9日15時頃、旧小川高校下駅にて)

さらに進むと、霞ヶ浦が見える。
霞ヶ浦のすぐ近くを線路が通っていたことは良く覚えている。思えばリッチな車窓だった。
写真 霞ヶ浦(2017年1月9日15時頃、旧小川高校下駅〜旧鉾田駅間にて)

霞ヶ浦から離れて、鉾田方面に向かう。
この後も、バスから線路跡がチラホラと見える。
写真 鹿島鉄道の橋梁跡(2017年1月9日15時30分頃、旧小川高校下駅〜旧鉾田駅間にて)

鉾田駅に到着。
駅舎はなくなっているが、ホームはそのまま残っている。そういえば、全部ではないかもしれないが、ここも含めて、停留所の名前も○○駅のままだ。
写真 鹿島鉄道のホーム跡(2017年1月9日15時分頃、旧鉾田駅にて)

終点の新鉾田駅に到着、下車。廃線跡巡りはなかなかに印象深いものだ。
バスと同じように、鹿島鉄道も新鉾田まで伸びていれば、もしかすると別の運命があったのかもなぁ。それとも、たとえ伸びていても、やはり同じだったのかもなぁ。
何と言っても、ローカル線が生きていくのは大変だもの。
写真 鹿島臨海鉄道の駅舎(2017年1月9日15時50分頃、新鉾田駅にて)

【初利用駅】なし
【初乗り】なし
【完乗】なし


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