番外編(21)、浦島太郎(20051217)


このおじさんが関西から関東に引っ越して、かれこれ二十年。
十年一昔、とゆーぐらいだから、二十年と言えばかなりのものだ。
当然、人も変われば町も変わるわけだが、このおじさんの中では時計が止まっていたりする。
そのせいで、たまに関西に戻って現実と記憶のギャップに気付くと、いつもこう思うのだ。
「オレって浦島太郎さんか。」なぜだ?

さて先日、思いがけず、山陽電鉄、板宿〜姫路間に乗る機会に恵まれた。
かつて、このおじさんは須磨と明石と姫路の辺りに住んでいたことがあるのだが・・。
いきなり、「板宿駅って、いつから地下になったのーっ?」ガビーン。って調子。
調べてみると、板宿駅が地下に潜ったのは1995年だとか。地震の頃だ。
今は道路になったこの場所に、昔は線路と駅があったのだ。
写真 山陽電車の旧板宿駅(2005年12月6日7時40分頃、板宿駅付近にて)

舞子公園駅付近の、巨大な明石海峡大橋。
いや、さすがに、これは知っている。
明石海峡大橋が出来たのは1998年。
でも、舞子公園駅に「明石海峡大橋前」とかの案内が付いたのは、知らんぞ。
写真 明石海峡大橋(2005年12月10日16時20分頃、舞子公園駅付近にて)

はて、明石駅って、いつから高架になったのーっ?ガビガビーン。って、繰り返し。
しかも、移動までしてるし。
明石駅が高架になったのは1991年だとか。チョー昔じゃん。
今はバスのロータリーになったこの場所に、昔は線路と駅があったのだ。
地下になる駅があれば、高架になる駅もあり、か。
写真 山陽電車の旧明石駅(2005年12月10日16時40分頃、明石駅付近にて)

しばらくして、ふと気付く。古い車両が全く走ってない。東二見の車両基地にも居ない。
昔は、片開き扉の古い車両が多かったが。
古い車両が引退したのは2000年頃なのかな。
ちなみに、車両は新しくなっただけじゃなくて、長くもなったのね。
最大4連がいつの間にか6連に、よくホームを延ばせたものだ。
写真 山陽電車の車両基地(2005年12月6日8時20分頃、東二見駅付近にて)

姫路駅で阪神梅田行きを見るこの不思議。
昔は、阪神方面は大石止まりだったがなぁ。
阪神梅田まで行くようになったのは1998年。
その代わりとゆーのか、阪急方面へは六甲まで行っていたのが三ノ宮止まりになったのね。
写真 山陽電車の車両(2005年12月6日8時50分頃、姫路駅にて)

ちなみに、JRの姫路駅は現在高架工事の真っ最中。
でも、高架にすると山陽電鉄とモロにぶつかってしまう。
とゆーことで、併せて山陽電鉄の線路も付け替え中。
こうして少しずつ世の中は変わっていくんだなぁ。
そして、また、おじさんは浦島太郎さんを思い浮かべることに。

【初利用駅】なし
【初乗り】なし
【完乗】なし


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