番外編(424-5)、さらに爺さん達はゆく(5)(20240218)


4日目、ホテルの近くのガヤ通りへ。通りにはお店がたくさん。
通りの端にある観光案内所の前に、キロポストがあった。フツーは鉄道にあるものだけど、周りに鉄道はないし、意味不明。
写真 0キロポスト(2024年2月7日7時50分頃、コタキナバル市街にて)

続いて、サバ州立博物館へ。
何と、入口の近くに蒸気機関車がいた。
写真 蒸気機関車(2024年2月7日9時頃、サバ州立博物館にて)

説明板によると「この機関車は北ボルネオ鉄道NBRによって購入され、1912年に北ボルネオでジェッセルトン(コタキナバルの旧名)とパパールの間で旅客列車としてサービスを開始した。キナバル号と呼ばれた。大戦中に損傷により何とか(distruptedは辞書にない)され、1952年に復旧され、1953年に旅客列車として復帰された。(中略)1958年に貨物列車としてサービスが変更され、1968年に台枠の損傷によりサービスは終了され、サバ博物館に保管された。(後略)」とある。ふぅ。
まぁ、イロイロあったってことね。
写真 説明板(2024年2月7日時分頃、サバ州立博物館にて)

機関車は3軸つまりC形で、色はイギリス風。観光列車の蒸気機関車と似てるけど、
写真 蒸気機関車(2024年2月7日10時10分頃、サバ州立博物館にて)

タンジュン・アルで見た観光列車の広告板とは顔つきや体形が違うので、多分もっと先輩。
写真 広告板(2024年2月6日7時20分頃、タンジュン・アル駅にて)

あとは、首狩り族の戦利品であるシャレコウベを見たり、クジラ狩り族の戦利品じゃないニタリクジラの骨格を見たり、先の大戦で旧日本軍がラブアン島で降伏した時のテーブルを見たり、ついでに揚げバナナを食べたりした。
写真 展示物ほか(2024年2月7日時分頃、サバ州立博物館にて)

続いて、ホテルへ。
途中、また州立鉄道の踏切を渡る。どー見ても、遮断器の腕が短いよーな気がするけど、まぁ1日1往復ってことで。
写真 サバ州立鉄道の踏切(2024年2月7日12時20分頃、コタキナバル市街にて)

続いて、空港へ。と言っても、帰国するわけじゃなくて、さらにラハッダトゥーへ。
航空会社はマレーシア航空傘下のMAS(マレーシアエアスィング)、機体はATR-72。何回見ても、6枚ペラがカッコいい。
写真 MASの機体(2024年2月7日13時50分頃、コタキナバル空港にて)

つーか、ラハッダトゥーって、どこー?
とゆーと、島の反対側。犬のアタマの形に似たサバ州の上あごの辺り。
図 サバ州(出典: Google Map)

コタキナバル〜ラハッダトゥーの所要時間は1時間弱。あっさり着いた。
ターミナルビルがシンプル。迷子になりようがなくて、ステキ。
写真 ターミナル(2024年2月7日15時10分頃、ラハッダトゥー空港にて)

で、なぜにラハッダトゥー?
とゆーと、I氏はここに住んでいて、レストランを経営しているから。とゆーわけで、レストランの近くのホテルに荷物を置いたら、さっそく晩ご飯だぜぃ。
写真 レストラン(2024年2月7日16時頃、ラハッダトゥー市街にて)

【初利用駅】なし
【初乗り】なし
【完乗】なし


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