番外編(50)、総武流山電鉄探検隊(20070429)


昨日からGW。で、奥様が娘と一緒に里帰り。デジカメを持って
って、うぉーい、写真が撮れないじゃーん。
って、心配御無用!こんなコトもあろーかと、鳥ダメ・・、もとい撮り貯めた写真があるんだもんねーっ。

さて、我が家からホド近くにあるのが、総武流山電鉄だ。
東武や西武よりデカい感じがする「総武」の名前と、単線で全長6kmしかない路線とが、いかにもアンバランスで楽しい。
創立は1916年とゆーから、あと9年で満100歳。
一昨年にTXが開業して以来、ナニかと大変なようだが、恙{つつが}無く長生きしてもらいたいものだ。
図 総武流山電鉄の路線図
それでは、起点から終点まで、ひとっ走りしてみませう。

まずは、起点の馬橋{まばし}駅。ホームは1面2線。 JR馬橋駅とは跨線橋で結ばれている。
JRからの乗り換え時間がタイトでも、あまり焦ることはない。 最後の乗客が乗るまで待っていてくれるし、車内発券もしてくれる。 こんな大らかなサービス、今どき珍しい。
駅の屋根や階段は、何年か前に更新されて、印象がずいぶん良くなった。新撰組キャンペーンにも間に合った。
写真 総武流山電鉄の2000系青空号(2007年2月12日、馬橋駅にて)

馬橋駅では、JRへの乗り入れはないが、渡り線がある。
多分、今ある車両は、この渡り線を使って入線したのでありませう。 そういえば、武蔵野線の新秋津と西武鉄道の秋津の辺りにも渡り線があったなぁ。そこも使ったのかしらん。
写真 総武流山電鉄の駅構内(2006年2月23日、馬橋駅にて)

馬橋駅から小金城址{こがねじょうし}駅までは、新坂川が並行。 途中、馬橋駅と幸谷{こうや}駅の中間部に立派な桜並木がある。
この川は洪水対策のために掘られたが、期待通りの働きができず、それならせめて花見でもできるようにと、後から桜が植えられた由。いろいろあったワケですね。
写真 総武流山電鉄の2000系若葉号と新坂川の桜並木(2007年3月31日、馬橋駅〜幸谷駅間にて)

馬橋駅から小金城址駅までの間で、JRとは3回も交差。 一つ目の交差は、武蔵野線〜常磐線上野方面の連絡線で、桜並木のすぐ先。
ちなみに、全て流山電鉄が下でJRが上。これは流山電鉄が武蔵野線より先にあった証拠なので、下の方が勝ち。
写真 総武流山電鉄の線路と武蔵野線〜常磐線上野方面の連絡線(2006年2月23日、馬橋駅〜幸谷駅間にて)

二つ目の交差は武蔵野線の本線で、ほぼ幸谷駅の辺り。新松戸駅はすぐ近くで、ここでJRに乗り換える人も多い。
幸谷駅付近はビルの谷間とゆー風情で、初めての人には、駅の場所が分かりにくかったりする。
ビルが多いとゆーことは、人も多いとゆーことで、流山電鉄沿線では、この界隈が一番の繁華街。居酒屋も多数で、かくいうワタシも、大変御世話になっている場所です。(-_-)ふーん。
写真 総武流山電鉄の線路と武蔵野線(2007年2月12日、幸谷駅付近にて)

幸谷駅自体もビルの一部で、1階に駅舎と1面1線のホームがあり、上はマンション。 マンションに住めば、駅から0分。羨{うらや}ましい。
この駅は、元々はもう少し馬橋寄りにあったが、武蔵野線が西船橋に延伸した後、現在の場所に移設された由。昔の駅の写真が小金城址駅に掲示されたことがあり、その記憶を頼りに場所を探してみたが、遺構は一つも発見できず。ホネ折り損。
写真 総武流山電鉄の駅舎(2007年2月12日、幸谷駅にて)

三つ目の交差は、武蔵野線〜常磐線水戸方面の連絡線で、幸谷駅からすぐの場所。
これらの連絡線、通常は貨物列車が通るだけだが、臨時で旅客列車が通ることもあるらしい。話のタネに、一度ぐらいは通れるといーなぁ。
ここを過ぎるとJRとは縁が切れて、いよいよ一人旅。
写真 総武流山電鉄の線路と武蔵野線〜常磐線水戸方面の連絡線(2006年2月23日、幸谷駅〜小金城址駅間にて)

幸谷駅と小金城址駅の間には、ちと珍しい個人宅用の踏切がある。遮断機もなければ警報機もない、シンプル極まりない踏切。くれぐれも、ご安全に。
第10号踏切道、とあるのは、どうやら馬橋から数えて10箇所目の踏切とゆーことらしい。
写真 総武流山電鉄の第10号踏切(2006年2月25日、幸谷駅〜小金城址駅間にて)

小金城址駅付近では新坂川との距離がさらに縮まって、土手を走る風情。ゆっくりと走るので、川の大きな魚(鯉)が見えることも。小さくて水もキレイじゃない川なのでビックリする。
新坂川は、小金城址駅の先で坂川に繋がっているので、魚はそこから入ってくるようだ。
写真 総武流山電鉄の3000系流馬号と新坂川(2005年5月16日、小金城址駅付近にて)

小金城址駅。全線の概ね中間に位置する。ホームは1面2線で、列車交換ができる。 跨線橋があり、駅舎はそこにある。跨線橋の一端は隣接するビルに繋がり、他端は川向こうまで延びている。
この駅も、元々は、もう少し幸谷駅寄りにあったが、現在の場所に移設された由。
写真 総武流山電鉄の2000系なの花号と駅構内(2006年1月23日、小金城址駅にて)
写真 総武流山電鉄の2000系流馬号と駅構内(2005年3月4日、小金城址駅にて)

小金城址駅を出ると、坂川にかかる鉄橋を渡る。流山電鉄の鉄橋(らしい鉄橋)はここ一箇所だけで、グッドな撮影ポイント。
坂川は江戸川の支流で、江戸川が増水すると逆流するところから、逆川と呼ばれたのが由来との由。川には大きな魚がたくさんいる。以前何かの理由(農薬とか酸欠とか)で、大量の魚が死んで浮かんだ時、それが分かったのだった。
写真 総武流山電鉄の2000系若葉号と坂川(2005年5月16日、小金城址駅付近にて)

小金城址駅から鰭ヶ崎{ひれがさき}駅までの間は、直線かつ平坦かつ周囲が低層の住宅主体で、圧迫感がなく、のびのびした風情。
ちなみに、この辺りに、貸しレイアウト屋さんが1軒あるらしいのだが、ついぞ看板を見たことがない。もっとも、看板よりも口コミとゆー性格の店ではあるワケだが。
写真 総武流山電鉄の線路(2005年5月16日、小金城址駅〜鰭ヶ崎駅間にて)

鰭ヶ崎駅。ホームは1面1線。近くに大学があって、利用客がそこそこあるせいか、珍しく売店があった。ただし、今はどうか分からない。
とゆーのは、南流山駅が600mほどの距離にあるため、TX開業の影響をかなり受けていそうだから。実際、以前と比べて最近は朝でも電車が空いているし。
写真 総武流山電鉄の駅舎(2006年2月25日、鰭ヶ崎駅にて)

鰭ヶ崎駅の前方には、ちょっとした丘があって切り通しになっている。流山電鉄一の難所だが、今は昔。
切り通しを抜けると、複線にできそうな広さの区間がしばらく続く。架線柱もそれらしい。かつて、そういう計画でもあったのだろうか。
写真 総武流山電鉄の3000系流星号の線路(2006年2月25日、鰭ヶ崎駅〜平和台駅間にて)

平和台駅。ホームは1面1線。駅前にはスーパーやホームセンターがあって賑やかだが、電車を使っている人がどれだけ居るかは疑問。
しかし、夏、江戸川の花火大会がある時だけは、ものすごい人が押し寄せる。狭いホームからは人が落ちそう。そんな特別な日でも、特別なダイヤを組まないところが、流山電鉄らしいと言えば、らしい。
写真 総武流山電鉄の駅構内(2006年2月25日、平和台駅にて)

平和台から600mほどで、終点の流山駅。ホームは1面2線、さらに側線が3線。小じんまりとしているが、流山電鉄一広い構内だ。
流山電鉄の車両は全部で6編成。通常、夜間には、1編成が馬橋駅停まりなので、残り5編成はここに停まる。やや窮屈ではないかなぁと、つい心配に。
写真 総武流山電鉄の駅構内(2006年2月23日、流山駅にて)

側線を使って車両の入れ替えをするところなどは、見ていて楽しい。
ちなみに、すぐ隣は流山市役所。市役所のためにあるワケじゃないことは分かっているが、流山市営鉄道の趣きも感じてしまう。
写真 総武流山電鉄の2000系明星号(2006年2月23日、流山駅にて)

また奥には検車場が。台車を外されて車体を持ち上げられた車両も、たまに見える。
流山駅は関東の駅100選に選ばれているが、この検車場も少なからず寄与していそう。
写真 総武流山電鉄の駅構内(2006年2月25日、流山駅にて)

一年前までは通勤で御世話になっていたこともあって、愛着は一番。(-_-)そういえば、掲示板のアイコンも多いな。
完乗は当然だが、全線を徒歩と自転車でカバーしていたりもする。
満100歳の時、奇{く}しくも還暦を迎えるワタシは、きっとここで乗り鉄なんぞをすることでせうヨ。

【初利用駅】なし
【初乗り】なし
【完乗】なし


追記(20070506)

こんな写真も撮ってた。
幸谷駅では、結構、武蔵野線とのツーショットが撮れる。
写真 総武流山電鉄の3000系流馬号と武蔵野線(2006年2月9日、幸谷駅にて)


追記2(20071125)

去る11月18日、流馬号が引退した由。
代替車の話が出ないのは、乗客減の影響のよう。
とはいえ、他の地方私鉄に比べれば、乗客数はまだまだ多い。
存続、発展のために、新しいスタイルを模索して欲しいものです。
写真 総武流山電鉄の3000系流馬号(2006年1月23日、小金城址駅にて)


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