番外編(24)、カウントダウン(20060311)


昔懐かしい「ど根性ガ○ル」に登場する町田先生の口癖は「教師生活25年!」。
当時は想像も出来なかったが、今や自分も「社員生活25年!」なのだった。
と同時に、今や定年まであと10年、カウントダウンに入ったのだ。
そしてカウントダウンと言えば、常磐線の103系もそうなのだった。

さて、来たる3月18日のダイヤ改正をもって、首都圏では常磐線に1本だけ残っていた103系が引退することに。
この車両にはワタクシも一時期ずっと通勤でお世話になった想い出が。
そう思うと、引退前にぜひとも写真を撮りたくなって。

とは言うものの、優等列車じゃないので時刻表で調べるわけにもいかず。
そこで、通勤時にポッケにカメラを入れて偶然の出会いを待つ作戦に。
しかし、ドラマと違って、やはり偶然の出会いってなかなか。
また、せっかく目の前を通り過ぎても気付くのが遅れたりカメラが撮影モードになってなかったりそもそもカメラを忘れていたり。(-_-)お間抜けだ。
作戦開始から1週間以上過ぎて、ようやく1枚。
写真 103系(2006年2月14日7時50分頃、南柏駅にて)

こんな調子では3月18日までにいくらも撮れないのでは、という不安にかられ始めた矢先。
たまたま上野方面に用事があって松戸駅で快速を待っていたら、この列車が。
いやー「愛は勝つ」だ。君の想いがー誰かに届くー♪

ほどなく終着の上野駅に到着。
すぐに折り返しで発車してしまうので我孫子側先頭へと急ぐ。
それにしても、人の流れに一人だけ逆行して、ちと恥ずかしかったり。
やっと我孫子側の先頭に。おっと低運転台だ。いーね。
写真 103系15号車(2006年2月16日8時40分頃、上野駅にて)

続いて前例にならい各車の車番を。
列車は我孫子側5両+上野側10両の15両。
しかし焦って撮ったので何枚かはピンボケに。(-_-)停まっているのにピンボケじゃ、流し撮りなんて到底ムリ。
写真 103系の車両番号(2006年2月16日8時40分頃、上野駅にて)

ようやく上野側の末尾に。こちらは高運転台。低運転台と見比べると楽しい。
すでに列車は発車していたがギリギリ間に合った。
やっぱ15両って長いわ。ふぅ。
こんなに長い列車がいつも満員で、しかもひっきりなしに走っているんだから、常磐線の通勤ラッシュもなかなか立派。(-_-)それって立派なのか?
写真 103系1号車(2006年2月16日8時40分頃、上野駅にて)

こちらは途中で撮った先頭車同士の連結面。どちらも高運転台。左右側面の違いが面白い。
連結面の向こうに見えるのはE531系。新旧交代のツーショット。
写真 103系10-11号車(2006年2月16日8時40分頃、上野駅にて)

同じく、中間車同士の連結面。
下側が開く窓も便利なんだけどね。
写真 103系5-6号車(2006年2月16日8時40分頃、上野駅にて)

同じく、車両側面。
さすがに塗装の傷もあったり。
サヨナラ運転の時には補修されているといーなぁ。
写真 103系4号車(2006年2月16日8時40分頃、上野駅にて)

同じく、車両内部。
きわめて合理的、かつ、きわめて単調な車内。いくら通勤車両とはいえ、今ならもう少し「遊び」があるところ。
こーして見ると車内広告が唯一の彩りだ。
写真 103系13号車(2006年2月16日8時40分頃、上野駅にて)

とゆーわけで、マニアって、もとい間に合って良かった。(-_-)アブないIMEだ。
一般に、車両の寿命は30〜40年。丁度社員生活に重なってみえる。
103系殿、貴殿の永年の勤続に対し、感謝の意を表します。ご苦労さまでした。


追記

こちらは一足先に引退した京葉線の103系。
写真 103系(2005年7月29日11時40分頃、新習志野駅にて)


追記2(20060317)

>首都圏では常磐線に1本だけ残っていた
わけではなかったらしい。
鶴見線にも残っていると、いっぺいさんからご指摘が。(-_-)またですかい。


追記3(20060317)

いよいよ今日で引退。
結局、上野駅の後から撮れたのはこれだけ。(-_-)これじゃ「作戦」とは言えないだろ。
写真 103系(2006年2月23日11時50分頃、新松戸駅にて)


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