番外編(409)、極小鉄道(20230506)


アフリカでお世話になった知人のI氏にご挨拶するため、幸手{さって}に行くことにした。
行き方イロイロだけど、久しぶりに、東武野田線経由が良さそう。
野田の辺りの高架工事はどーなったのかな。
写真 東武野田線の軌道(2023年4月12日11時40分頃、梅郷駅〜野田市駅管にて)

とゆーと、もうすっかり出来上がっていた。そりゃ、アレから、早2年以上だもんなぁ。
写真 東武野田線の軌道(2023年4月12日11時40分頃、梅郷駅〜野田市駅管にて)

でも、すっかり出来上がっていた、と思いきや、野田市はまだ工事中だった。
本来は2面4線だけど、とりあえず1面2線あれば足りる、ってことかな。
写真 東武野田線の軌道と駅構内(2023年4月12日11時50分頃、野田市駅付近にて)

でも、次の愛宕駅は、すっかり出来上がっていた。
写真 東武野田線の軌道と駅構内(2023年4月12日11時50分頃、愛宕駅付近にて)

次の清水公園で地上に降りて、高架区間は終了。
列車で走ると、あっと言う間だけど、工事開始からだと幾年月。
写真 東武野田線の軌道と駅構内(2023年4月12日11時50分頃、清水公園駅付近にて)

春日部から、伊勢崎線・日光線で幸手へ。すぐに到着。
もう少し先に行くと、件の三県境がある。また、関宿も近い。徐々に、土地勘がアップするなぁ。
写真 東武日光線の駅構内と車両(2023年4月12日12時30分頃、幸手駅にて)

改札でI氏と合流。I氏は幸手に長く住んでいて、ほぼ地元民。
駅舎は立派。I氏によると、数年前に建て替えられた由。建て替えによって、駅の西側への自由通路も出来た由。
写真 東武日光線の駅舎(2023年4月12日17時30分頃、幸手駅にて)

駅前や道路には、有名人の手形がたくさんある。幸手、つまり幸せな人の手とゆーことらしい。
爺も幸せだけど、手形をもらってくれないかな。(-_-)ムリ。
写真 有名人の手形(2023年4月12日12時30分頃、幸手駅にて)

駅の近くで昼ご飯。そのあと、I氏に幸手の街をご案内いただく。
幸手には日光街道が通っていて、芭蕉も奥の細道の旅で来られた由。
写真 古民家と芭蕉の絵(2023年4月12日15時頃、幸手市街にて)

また、古い建物は奥行が長くて、商店だと、何と運搬用のレールとトロッコ、つまり鉄道があったりする。スゲー。
って、人ん家の写真を勝手に撮って委員懐!いや、I氏は、大丈夫だって言ってたけど。
写真 商店のレールとトロッコ(2023年4月12日15時頃、幸手市街にて)

幸手に来たのは初めてだけど、神社もあるし、山車{だし}の倉庫もあるし、古き良き街じゃね?
もう少し早い時期に来ると、利根川沿いの堤の桜も見事らしい。埼玉もイロイロあるのね。
写真 案内板(2023年4月12日15時30分頃、幸手市街にて)

歩き疲れたので、喫茶店でまったりと休憩。I氏によると、この喫茶店も、醤油工場を改修した由。さすがに、ほぼ地元民。
写真 喫茶店(2023年4月12日15時30分頃、幸手市街にて)

では、撤収。駅まで、I氏にお見送りいただく。
駅の近くに、なぜか、東武日光線開通記念の碑があった。幸手まで部分開通したのかと思って、調べてみると、当時、幸手商工会が駅を誘致したためらしい。いや、鉄ネタまで、I氏のお世話になるわけにもいかず。
写真 記念碑(2023年4月12日17時30分頃、幸手駅にて)

【初利用駅】東武日光線/幸手駅
【初乗り】なし
【完乗】なし


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