番外編(156)、遥かなり最西端(20110924)


千葉県人たるワタシとしては、千葉県の東西南北の四端はぜひともゲットしたい場所だ。
すでに、最東端の犬吠崎、最南端の野島崎、最北端の関宿はゲットした。残るは最西端。
じつは、関宿に行った時、ここが最北端でもあり最西端でもあると思い、ついに四端ゲットを達成したと喜んだのも束の間、あとで調べると、真の最西端は南房総市館山の洲崎{すのさき}と分かり(※)、四端ゲットはあえなく幻となったのだった。ちーん。
(※)離島は除く。
捲土重来{けんどちょうらい}を期し、臥薪嘗胆{がしんしょうたん}すること早一年半。ついにその日はやってきたのだった。
常磐線、武蔵野線、京葉線と乗り継ぎ、蘇我から内房線に乗る。
写真 京葉線の駅構内とE233系(2011年9月4日8時50分頃、蘇我駅にて)

この日は奥様とお出かけ。と言うか、奥様が買った青春18切符の消化に、急ギ協力スベシ、ということで「千葉県最西端攻略作戦」を立案した次第。
なので、いつにも増して奥様への気配りが肝心。
各停で館山まで行くのはかなり時間がかかるので、奥様が退屈しないように、木更津で途中下車などする。
そして、これがお富さんの唄で有名な、切られ与三郎の墓、
写真 切られ与三郎の墓(2011年9月4日9時40分頃、木更津市街にて)
これが狸囃子の唄で有名な、猩猩寺、
写真 猩猩寺の狸(2011年9月4日10時頃、木更津市街にて)
などと健気{けなげ}にガイドをする。効いてると良いなぁ。

再び木更津から内房線に乗り、鋸山を過ぎ、ついに館山に到着。
駅舎のデザインが南国っぽくて、いーね。
写真 内房線の駅構内と209系(2011年9月4日11時50分頃、館山駅にて)

洲崎へは駅からバス。バスの乗り場と発車時刻を観光案内所でまず確認。
もう昼どきなので、待ち時間に昼食を取り、バスに乗り込む。
写真 JRバス関東の路線バス(2011年9月4日12時30分頃、館山駅にて)

30分ほどで洲崎灯台前。すぐ近くの小高い丘に小ぶりな灯台が見える。
敷地に入ると一角に展望台があり、ここから始まる東京湾(浦賀水道)を見降ろせる。灯台の中に入れないのは残念だが、入ったとしても展望はあまり変わらなさそうだ。
犬吠崎や野島崎に比べると観光客は断然少ない。静かでよろしい。
灯台訪問記録
写真 洲崎灯台(2011年9月4日13時10分頃、洲崎にて)

展望台から海上を眺めていると、一隻の軍艦が遊弋{ゆうよく}していた(※)。たぶん教育、車で言えば路上教習のようなものではないかしらん。横須賀も近いし。
(※)船があちこちウロウロすること。
船首の番号からしてDD131「せとゆき」と認ム。
写真 館山湾とDD131せとゆき(2011年9月4日13時10分頃、洲崎にて)

灯台から下って、海岸へ出る。
ここが千葉県の最西端、であるのだなぁ。正真正銘の四端ゲット達成だ。千葉県人としてすこぶる喜ばしい。
写真 千葉県最西端(2011年9月4日13時30分頃、洲崎にて)

まだ早い時間なので、さらにバスで先に進みフラワーパークへ。
そこでちょっと休憩して、最南端の野島崎まで海沿いをブラブラ歩くことに。
海女さんが居たり、灯台似の街灯があったり、
写真 海女の像と灯台似の街灯(2011年9月4日16時頃、洲崎〜野島崎間にて)
海鵜{うみう}が居たり、ガードレール代わりの係船柱ビットと鎖があったり、
写真 海鵜の像とガードレール代わりの係船柱ビット(2011年9月4日16時10分頃、洲崎〜野島崎間にて)
そして、なにより波の音と飛沫{しぶき}がすごい。海だねぇ。

歩くことしばし、最南端の野島崎に至る。ふぅ。
奥様もきっと満足して・・、え、何、歩き過ぎ?ぎくぅぅ。
写真 野島崎灯台(2011年9月4日16時20分頃、野島崎にて)

野島崎からバスで館山へ。館山駅行きのバスがまだあって、助かった。田舎に行くと、早い時間に終わったりするし。
最後に館山駅でオミヤを仕入れて、電車に乗る。
帰りも時間がかかるけど、しっかりと寝る予定なので問題ない。では、お休みなさい。
写真 内房線の209系の車内(2011年9月4日18時20分頃、館山駅にて)

【初利用駅】なし
【初乗り】なし
【完乗】なし


追記

>横須賀も近いし。
そういえば、この1週間前に横須賀駅を通った時、すごくデカい軍艦、ヘリ空母のDDH181「ひゅうが」を見た。
これも館山辺りで路上教習をしているのかもしれないなぁ。
ちなみに、その時はライナさんと一緒だった。って、なぜに?


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